「夢を持て」と言われるのが嫌だったわたしが「夢は必需品ではない」と知って




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「将来の夢はなに?」

「夢はおおきいほうがいいよ」

小さい頃からお父さん、お母さんや学校の先生にそんな風に言われたって人は多いと思います。
ほとんどの人が、一度は言われてるんじゃないかな。

 

わたしは「夢を持て」って言われるの、昔から本当に嫌でした。

 

瀧沢かいるー
瀧沢かいるー

だって「夢」なんてないんですもん。

 

ここでいう「夢」っていうのは、ちょっとがんばれば達成できそうな目標のことじゃなくて、
かなりがんばらないと実現が難しい、それどころかどんなにがんばったところで達成できないような願望のことです。

「Jリーガーになりたい」とか、「メジャーで活躍したい」とか、「オリンピックで金メダルとりたい」とか、そんなニュアンスです。

 

瀧沢かいるー
瀧沢かいるー

「夢」を持たないといけないのかな…ずっと「夢」がないわたしはダメ人間なのかな…

 

そんな風に思いながらずっと生きてきたんだけど、つい最近、「ドリーム・ハラスメント」という言葉を知りました。
子どもや若者のためと思いながら言われる「夢を持て」というフレーズが、強要されることで子どもや若者たちを苦しめているというものです。

その言葉を知って、すっごく安心したんです。

夢がなくて苦しんでいるのはわたしだけじゃないんだなって。

 

 

「夢を持て」に忖度した子ども時代

わたしは小さい頃から、一度も「夢」らしい夢を持ったことがありません。

だけど周りの大人からは、夢がないと悪いことみたいな雰囲気が感じられたので、よく「獣医さんになりたい」って言ってました。
動物好きだったから、そう言っておけば褒められるし、周りの大人も安心するだろうって思ったんです。

 

瀧沢かいるー
瀧沢かいるー

だけどこれってよく考えればおかしなことですよね。

 

夢って、自分のための持つもののはずです。

周りの大人たちに言われたから、ましてや安心させるために、かなえたくもない「夢」をでっち上げたってことです。
大人の顔色を読んで。

これってまさに「忖度」ですよね。

 

これと同じような経験をしたって人が、Twitterとかで調べるとけっこういました。

小さい頃は夢を持とうと無理にがんばってたとか、夢を持つことを強要されたとか、
正直にないって答えたら怒られたとか。

だから大人の顔色を読んで、適当な「夢」を持っていたとか。

子どもの頃の夢をかなえられる人は少ないっていうけど、当たり前ですよね。
だって本当にかなえたい「夢」じゃないんだもん。

 

 

悪意のない「ドリーム・ハラスメント」

わたしが「ドリーム・ハラスメント」という言葉を知ったのは1冊の本がきっかけです。


著者の高部大問さんは、自分自身の経験や、学生たちと接するうちに、「日本社会は過剰に夢を持つように強要し、もはやハラスメントレベルだ」と思うようになったそうです。

「夢を持て」っていう大人たちに、もちろん悪意はないんだろうと思います。
子どもに人生の目標を持って欲しい、それを追いかけてがんばれる子になって欲しい、そんな風に思ってのことだと思います。

だけど、だからこそやっかいなんですよね。

大人たちが悪意なく言っている「夢を持て」が子どもたちにとっては無理を強いられているっていう現実があるんです。
そうでなければ、わたしと同年代の人たちが、子どものころ「夢を持て」と言われたことに対して
「嫌だった」「強制された」「無理に夢を作っていた」なんて思うはずないんです。

子どもたちがかなえたくもない夢をでっち上げることもなかったはずです。

 

もちろん、明確な「夢」があって、それに向かってがんばれる子ならいいと思います。
本田圭佑さんとか、イチロー選手とか、すごいですもんね。

 

瀧沢かいるー
瀧沢かいるー

だけど、子どもたち全員がそういう夢を抱いて、本気になれるかっていうと、そんなことないんですよね。

 

 

大人たちはなんで「夢を持て」って言うの?

ドリーム・ハラスメントなんていうと、大人たちは「子どものためを思って言っているんだからハラスメントじゃない!」って言うと思います。
何が悪いの!って。

そもそも大人たちってなんでそんなに「夢を持て」って言うんでしょう。

本当に子どもたちのためを思ってだけのことなんでしょうか。

 

この本を読んで衝撃だったのが、「夢を持て」という言葉で大人は子どもをコントロールしようという思惑や魂胆があるってことでした。
子どもに目の前のことにがんばらせたいがために、「夢を持て」という言葉をニンジンのように子どもたちの前にぶら下げて、
走らせるためのツールにしてるっていうんです。

夢がある子は、大人の思惑通りにがんばってくれます。
そして、大人たちはそういう子を褒めます。

だから夢がない子は「自分には夢がない。どうしよう!」って焦ってしまう。
それで無理矢理にでも夢を見つけようとするんです。

 

大人たちに悪意はないのかもしれないし、思惑や魂胆があるっていったって無意識かもしれないけど、
「夢を持て」と言われた側の子どもがこうして苦しんでいるなら、それってハラスメントだと思うんですよね。

多くのハラスメントがそうなように、ドリーム・ハラスメントも加害者側は無意識なんです。

「夢を持て」って言葉は、大人が望む方向に子どもを誘導して育てるための便利な道具なんです。

 

 

「夢は必需品ではない」

こんなフレーズが本の中にありました。

これを読んだ時、わたしはすっごくほっとしたんです。

生きていく上で必ず必要で、それがないとダメなやつみたいな意識が植え付けられてた「夢」だけど、
別になくなって困らないし、必需品では決してないんです。

 

「夢を持て」とか「夢を探せ」とか言われるけど、そういわれると、夢を持ったり探せない人はダメみたいに言われがちです。
意識が低いとか、努力してないとか言われるんです。

 

瀧沢かいるー
瀧沢かいるー

でも、夢なんてないって人がほとんどだと思います。
だって、ないものはないんです。

 

小学生や中学生くらいの頃は、クラスの前で夢について書いた作文を発表させえられることがよくありました。わたしはあれ大嫌いでした。
だって夢なんてないんだもん。

中学や高校の進路面談では、将来の夢についてよく聞かれました。あれも大嫌いでした。
だって夢なんてないし。

当時はでっち上げた夢を語ってたけど、あの時に正直に「夢なんてありません」って言えてたらどんなにスッキリしたかなって思います。
同じように、「本当は夢なんてないんだけどな…」って思いながら作文を発表したり、進路面談で担任に夢を語ってた子がどれだけいたでしょう。

小学生の時、男子の多くが「プロのスポーツ選手になりたい」って言ってました。
だけどその中でどれだけの子がその夢をかなえられたでしょう?
少なくともわたしの同級生でプロの選手になった子がいるって話は一度も聞いたことがありません。

 

夢は当たり前だけどかなえられないことのほうが多いんです。
それを知りつつ、「夢を持て」って言い続けるんだから大人って残酷ですよね。

 

 

大人が理解できない「夢」はダメらしい

最近の子どもたちに人気の将来の職業は「ユーチューバー」だそうです。
小学生では1位だそうですね。

これも立派な「夢」であるはずなんだけど、なぜかこの「夢」に対して大人たちの反応はイマイチですよね。
それどころか、担任の先生に怒られたなんて子もいるそうです。

 

どうも、子どもが語っていい「夢」っていうのは、大人が理解できるものであることが前提らしいですね。
「野球選手になりたい」とか、そういう大人がわかりやすくて、なおかつ自分が手助けできるようなことじゃないと語っちゃダメらしい。

子どもってけっこうそれを察知して自分の「夢」を語ってるところがあるなって感じるんです。
お父さんが大工さんだっていう男の子が「自分も大工になる」って言ってるから、「すごいね、お父さん喜ぶね」って言ったら、
「別になりたくないよ、だけどそう言うとお父さん喜ぶから」って。
そんな風に言ってたことがあって、びっくりしました。
まだ小学校になるかならないかくらいだったんだけど、そんな子でも夢に対する忖度をしてるのかって。
これじゃあ「夢」が捻じ曲げられちゃいますよね。

 

子どもが正直に夢を語ったとしても、それが非現実的だったりすると「何言ってるの、できるわけないでしょう」とか言ったりする。

 

瀧沢かいるー
瀧沢かいるー

え、夢ってほぼほぼ実現不可能なもののことじゃん。大人の汚い手の平返しを見たわあ。

 

 

「夢」がなくなって生きていける

もちろん、夢を持って、その夢に向かってがんばる生き方は、すごいなーと素直に思います。

だけど、それができない人まで無理にそうする必要はないんじゃないかって思うんです。

 

わたしは夢がないまま30年生きてきたけど、夢がなくても生きていけます。
おかげで夢がかなえられずに心が折れるほどの挫折を味わったことはありません。

夢がないと人生の張り合いがないとか、夢があったほうが人生楽しいとか、色々言われるけど、
夢がなくたって人生張り合いがあるし楽しいと感じることはたくさんあります。

もちろん、夢をやっとかなえた時の喜びや幸福感は、夢を持たない人には味わえないものです。
だけど、夢ってそのために持つものではないはずです。

夢を持てる人は、その夢に向かってがんばればいい。
そういう生き方はとても素敵です。

でもそれは、夢を持たない人を非難する理由にはならないはずです。

 

夢がなくなって、十分に人生楽しく生きていけます。

夢がないなら、正直に「ない」って言っちゃえばいいんですよね。
そしたらきっと、すごく楽になりますよ。

 

 

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コメント

  1. カイル母 より:

    こんにちは。この記事を読んで、小4のときにクラスで一人だけ『将来の夢がない』と書いて親に怒られたのを思い出しました。

    夢も忖度もなかった私ですが、数年前カイルと暮らすようになって、
    自分の夢は『犬と暮らすこと』だったのだと、ずっとぼんやりしていた想いが、
    はっきりとした夢という言葉に変わりました。

    別にメジャーリーガーになりたいとか大きいものじゃなくても、
    ささやかな○○が好きという想いを夢という言葉にかえてもいいのかなと思いました。
    そして、そういった小さい夢をいっぱい持っていれば、いっぱい叶うし、お得かも(笑)ですね!

    • 瀧沢かいるー より:

      カイル母さま

      コメントありがとうございます。
      「将来の夢がない」と堂々と言うことができたなんてすごいですね。
      わたしは昔から割と、親とか周りの大人の顔色を読んで忖度するくせがあったので、
      そういうのはできませんでした。

      わたしも小さい頃からいつか自分で犬と暮らしたいという思いはあったので、
      それが夢といえば夢だったのかなと思います。
      のんちゃんと暮らすことが決まった時は「やったーーー!!!」って
      すっごい嬉しかったですし。
      何か大きい夢を抱いてそれを成し遂げるのがかっこいいみたいな風潮あるけど、
      そういうのじゃなくても、ほんとにちっちゃなささやかな夢をかなえるのも幸せですよね。
      小さい夢をいっぱい持っていればいっぱい叶う、っていう考え方、とても素敵です。

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